マイセン・ホワイトレリーフ 000000 コーヒーカップ&ソーサー・26582 C/S

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商品情報

サイズ:カップ直径6.5cm高さ8cmソーサー直径14cm
素材:陶磁器
※モニターの発色の具合によって実際のものと色が異なる場合があります。

日本の焼き物でホタルと言われているホタル焼の造り方は、本家中国と同じく 素磁が半乾きの時 ピアスに開けて、そこに釉薬を掛けて焼き上げます。
明かりに透かすと、薄い釉薬の膜の米粒の跡が蛍の光るように見えることから、日本ではホタル焼きと名が付けられましたが、中国ではホタル焼とは言わず 「玲瓏(リンロン 美しく照り輝く)」と呼ばれます。

ピカピカの 新品です。  現品 即納

グロッサー・アウシュニット型レリーフ

 蛍焼き様式 
コーヒーを入れると 小円の真中が 幽かにポッと 染まります。
中国では ピアスで磁器を切り取って 釉薬をかけ うすい釉薬の膜でピアスの穴を 覆います。
西洋では 磁器を 穿って 磁器の薄い部分を作り 蛍焼き効果を期待しますが 本家蛍焼きに比べれば ずいぶん見劣りします。
マイセンでは レリーフを三段階ぐらいに穿って 釉薬の膜ほどではありませんが そこそこ薄い磁器を出現し 蛍焼き効果を 見せております。
マイセンなら 本家蛍焼き様式ができないわけがありませんが 費用対効果を重んじる 合理主義が この辺で手を打たしめたのでしょう。

偉大なマンネリズムを 標榜する一方で 20世紀の新風を求めて 創作美術集団クンストラー・コレクティヴを 1960年に立ち上げました。新グロッサー・アウシュニット型に 蛍焼き様式の「ホワイトレリーフ」等のヒット作が ここから生まれました。

錬金術師-3
ベトガーが 人の出入りの多い 黄金の館から 廃墟に近い 山上のアルブレヒト城へ移されたのは 
(1)大きな窯を設置出来る広い場所 
(2)研究に没頭せざるを得ない環境 
(3)研究が成就の暁に 秘密を守る為 でした。
ベトガーには 3人の監視と 5人の助手(中にウィーン窯の前身に 秘法を伝えることになる 一番弟子シュテルツェルも)が つけられました。
いかに白い黄金と称えられていた 東洋の秘宝といえど 古代メソポタミアに 起源する科学の王道 賢者の石に比べれば 錬金術師ベトガーの誇りにかけて 陶工の真似は 潔き事ではありませんでした。
しかし ベトガーは 処刑を免れる為の 時間稼ぎに 何らかの成果を あげざるを得ませんでした。 
欧州各地で 白い黄金の焼成が 試みられておりますが 総て 陶工達によるものでした。 
磁器のガラス質に 惑わされた彼らの せいぜい成功らしきものでも 随分 白い黄金には 見劣りのする 軟質磁器(ヴァンサンヌに続くセーヴルでも フリット軟質磁器)どまりでした。
他の物質から 黄金への変成を求めた 錬金術師ベトガーは 過去のガラスの研究においても(ガラス製造技法大全)鉱物を 加熱することによる変成で 目的のものが得られる 経験をしておりました。
ベトガーは 科学系統的な実験により 真理にいたることを 重んじる正当な研究者でしたから 連日 鉱物の加熱実験を 正当に繰り返しておりました。
その過程において ベトガーは 中国の宜興窯に 勝るとも劣らぬ ガラス質の朱泥せっ器を 副産物として得ました。それは磁器 完成の前兆でもありました。1706年も終わろうとしておりました・・・・・・・・ 

磁器の起源は 中国は後漢の頃 紀元1~2世紀に 端を発します。
古磁器を経て 紀元6世紀 中国河北省で ほぼ今の磁器に 遜色なきものになり 11世紀宋代に至り 近くにカオリンシャンを擁する 景徳鎮が 1300度の高温で 美しい白磁を 完成しました。
13世紀 日本を 黄金の国 ジパングと呼んだ マルコポーロが 美しき海の寶貝 ポルツェラーナ
(ポースレーンの語源。寶貝は 古代通貨でもありましたので 白い黄金にも通じました。)
と 賞賛し イタリア・ヨーロッパに初めて紹介しました。
それまでにも アラブの玄関口であるイタリアには シルクロード経由で 先に入手していた アラブの王様から 自分の威光を 誇る 贈り物として 入ってきておりましたが 東洋からのものと 判明したのは マルコポーロによります。
この時 彼は 完品は高すぎて手が出ず 破片を 持ち来ったそうです。 
ヨーロッパにおける 磁器の焼成は 16世紀の古きから アラビアと東洋の 玄関口であった ベネツィアで 先ず 試みられましたが 曇ったガラス球に終わりました。同じ16世紀に フィレンツェ大公(富豪メディチ家)は 砂 ガラス水晶粉を 粘土と混ぜた見事な焼き物(軟質磁器)に成功するのですが やはり 東洋の秘法による白い黄金には とても及びませんでした。
その後も 欧州各地で 白い黄金の焼成が 試みられますが 総て 陶工達によるものでした。 
磁器のガラス質に 惑わされた彼らの せいぜい成功らしきものでも 随分 白い黄金には 見劣りのする 軟質磁器(ヴァンサンヌに続く セーヴルでも フリット軟質磁器)どまりでした。

一方  本家中国の景徳鎮で 14世紀には 磁器最後の姿 染付の完成を見ます。
東洋では 千数百年の長きにわたる 多くの職人達の 勘と経験を 積み重ねた 結晶の賜物として 花開きました。片や西洋では 憧れの白磁を 科学的に分析することで 錬金術師(中世における 科学者の呼称)ベトガーは わずか3~5年で 1710年に完成させました。
ザクセン王国 宮廷科学顧問官 チルンハウス(彼とて 多くの陶工と変わらず 磁器のガラス質に惑わされ 軟質磁器の研究に 堕しておりました。化学的変成にこだわり 分析と 実験の王道により 白磁を極めたベトガーは やはり非凡の天才でした。)の 白磁研究の基礎に 助けられたとはいえ 西洋科学分析手法の 優越性は ベトガーへの個人的資質の賞賛のみにとどまらず 明治維新の日本でも 優れた西洋科学として 競って受け入れられました。
今や 日本をはじめ 東洋は 西洋を 凌駕せんばかりの 勢いです。
少し理屈っぽくなりましたが 磁器をめぐり 東洋と西洋の違いを 言ってみたかったのです。









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グロッサー・アウシュニット型レリーフ

 蛍焼き様式 
コーヒーを入れると 小円の真中が 幽かにポッと 染まります。
中国では ピアスで磁器を切り取って 釉薬をかけ うすい釉薬の膜でピアスの穴を 覆います。
西洋では 磁器を 穿って 磁器の薄い部分を作り 蛍焼き効果を期待しますが 本家蛍焼きに比べれば ずいぶん見劣りします。
マイセンでは レリーフを三段階ぐらいに穿って 釉薬の膜ほどではありませんが そこそこ薄い磁器を出現し 蛍焼き効果を 見せております。
マイセンなら 本家蛍焼き様式ができないわけがありませんが 費用対効果を重んじる 合理主義が この辺で手を打たしめたのでしょう。





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